働き方

【体験談】転職して3か月で死にたくなるほど仕事が辛くなり適応障害になった

こんにちは、やすペン(@penpenkabu)です。

 

僕は1年前に約7年間務めた印刷会社から違う業種の会社へ転職をしました。

 

しかし転職したその会社は約4か月働き、死にたくなるくらい仕事がつらくなり、最終的には精神内科で「適応障害」の診断書をもらい退職をしました。

今はまた別の会社に勤めていて、仕事は相変わらず楽しくないですが、辛すぎた1年前と比べれば穏やかな毎日を過ごしています。

 

今回は同じように仕事が辛すぎてどうすればよいかわからない方が無理をしてほしくない、一人でも救われればいいなと思い、僕の体験談を書いていこうと思います。

何となく決めた転職

そもそも僕が転職を決めた理由は「これがやりたい!」というよりは

「世の中的に見れば今いる印刷業界よりもっといい業界は他にもたくさんあるだろう。それであれば一度の人生ずっとこの業界にいたら悔いが残る」と考えたからでした。

そのため、今と違う業界であればどこでもOK的な考えが先行してしまい、内定を1社もらった時点で転職を決めました。今思えば大して調べたりもせず、動機が軽すぎますね。。

 

このあたりから転職後につまずく予兆があったのかもしれません。

辛くなっていく要因が重なってしまった

そしていよいよ転職をしました。

結論から言うと転職した会社は

・毎日終電

・サービス残業当たり前

・日常的なパワハラ

といった典型的なブラック企業ではありませんでした。

 

残業代はフルで出ていましたし、僕の所属した営業部は人の入れ替わりもそこまで激しくなくそれなりに定着しているようでした。

(社名で検索すると第二検索で「ブラック」と出てきたり、技術部門の部署は社員の入れ替わりが激しいようでしたが。。)

 

また、中途入社で若くなかった(転職当時29歳)にもかかわらず、業界未経験の僕に1か月かけて各部署を回る研修期間を与えていただいたりもしました。

 

それでも僕が診断書をもらい、すぐに退職してしまったのは、辛い要因が2つ重なってしまったことにあります。

1.引き継ぎ期間が短かった

入社後、僕は1か月間の技術研修を受けさせていただき、その後営業部へ配属となり、先輩との同行が始まりました。

しかし、そこで衝撃の事実が1つ。。既存顧客の担当の引き継ぎ期間が約1か月半しかなかったのです。

 

転職した会社はとある製品の容器を作る下請け会社なのですが、僕は前職が印刷会社営業で、製品は違えど製造業で共通する部分もあり、短期間での引き継ぎというスケジュールが組まれていました。

前に担当していた先輩は技術部門へ異動、顧客の情報を把握している上司はいるものの、上司も担当顧客を持っているため、付きっ切りで指導、というわけにはいきません。

営業に配属されてから、1か月半で業界未経験の僕が既存顧客のメイン担当として動かなければならなくなってしまいました。

 

その1か月半の間にも新しい製品の容器の依頼がどんどん増えていきます。

「これを一人で担当するようになったらどうなってしまうんだろう」と日々考えていくようになり、課題が増えていく一方で、解決策はわからないという不安が日に日に押し寄せてきました。

 

もちろん僕にも責任はあります。「こんな内容一人でこなせるわけがない。もう少し引き継ぎの期間を延ばしてほしい」と上司に訴えるべきでした。

しかし29歳と業界未経験の転職としては若くなく、また、周りの営業は同世代でバリバリ一人でこなしている人も多く「こんな状況で自分勝手なことは言っていられない」という思考になっていたのです。

 

こうして精神的に追い詰められていきました。

 

2.コミュニケーションスキルが足りず営業としてうまく仕事を回せなかった

転職先の営業職は僕にとってはとても難易度の高い仕事に感じました。

 

営業は顧客であるメーカーの希望通りに容器を納品できるよう、

・容器の設計を依頼

・生産に間に合うように金型の生産の依頼

・容器の中身の規格に合うように検査を依頼

・納品スケジュールに間に合うように生産を工場に依頼

など、顧客の要望を汲み取りながら社内の人々と交渉をしなければいけません。

 

設計、金型、検査、工場、どの部署も多忙で、入社間もなくて容量が悪く、コミュニケーションをとるのが得意ではない僕が、あらゆる人を取りまとめて1つの製品を作り上げていくのは不可能にさえ感じました。

 

特に工場は、業界的に海外観光客のインバウンド需要(爆買い)もあり、僕にとっては不運にも新製品、既存製品の増産の予定が大量に入っていたのです。

 

新人の僕が任されている顧客の売り上げが社内的にも大きくないこともあり、優先順位が低く、スケジュールの交渉にとても苦労し、先輩、上司に頼み、無理やりスケジュールをねじ込んでもらったこともありました。

 

一方で、営業とその他の部門で行われる進捗会議では、多忙な部署の仕事遅れを営業が語気を荒げて注意し制作を進めていくような場面もたびたび目にします

 

こうした業務をこなしていく中で、「強気でグイグイ引っ張っていくスタイルの営業がこの会社でやっていくには向いているんだろうな」と思うようになりました。

中には顔色を変えずひょうひょうと仕事をこなしている営業もいました。長年の経験から自信をもっていたのかもしれませんが、僕には将来このようになれるというイメージがわきませんでした。

 

人見知りで気が弱い僕はすっかり自信を無くしてしまい、どんどん疲弊していきます。

そうして段々精神的に追い詰められていった

新しい環境に対応できなかった僕は、だんだん仕事に行くのが怖くなっていき、気分が落ち込んでいきました。

 

社内と顧客の要望で板挟みになりどうしていいかわからず、試作の納品を間に合わせるために嘘をついたり、急がなきゃと焦り、高速道路をうつろな目をしてかっ飛ばしたりしました。

 

今思えば恐ろしいですが、「このまま運転中に事故でも起こしてしまった方が仕事をしなくて済むから楽になれるかも」なんて考えてしまったこともありました。

 

両親にヘルプを求めた

そうして追い詰められていった僕は、それまであまり連絡を取っていなかった両親に連絡を取るようになりました。

僕は現在一人暮らしをしていますが、職場から比較的近かった実家に仕事後、しばしば向かうようになり、追い詰められてくると「早く帰りたい」「もうやめたい」など仕事中にLINEを送ったりするようになりました。

それまでLINEで連絡を取り合うこともあまりありませんでしたが、なりふり構っていられなくくらい精神的にやられていました。

 

そんな両親も僕の話を親身になって聞いてくれました。

 

理由がどうであれ両親との仲が以前より深まったのはつらい時期にあって唯一のいいことだったかもしれません。

 

精神内科で診断書をもらう

そんな日々を2,3週間過ごしたのち、母親が精神内科の受付のパートをしていたこともあり、仕事が終わったその足で助けをもとめるように向かいました。

そこで辛いと思っていることをすべて吐き出しました。

 

するとその場で先生から「一旦休んだ方がいいですね」という言葉をいただき、その場で「適応障害」の診断書をもらいました。

 

翌朝、さっそく総務部長のところへ行き、診断書を提出しました。

 

前職で退職願を出すときはとても億劫で1週間くらいためらいましたが、今回は朝一で話をしました。

それだけ「この環境から一刻も早く抜け出したい」という気持ちが強かったのです。

自分がダメなだけだから耐えなければと考えないでほしい

上記で僕がくじけてしまった理由になります。

 

「そんなことで?」

と思った方もいるかもしれません。でもこれが事実です。どんな理由であれ辛いものは辛く、もし100人中99人が平気な状況であったとしても僕には耐えられませんでした。

 

結果的に転職後すぐに退職することで僕の履歴書には大きなマイナスがつくことになりましたが、もしあの時、気合いで仕事を続けていたらと考えるとゾッとします。

 

例え収入が下がろうと、一定期間無職になろうと、健康が一番大事、生きていくことが一番大事です。

 

あなたも僕のように「辛いけどこんな理由でくじけるなんてあり得ない」と考えていたら、絶対に無理をしてほしくないです。もし死んだ方がマシだと考えているようならそのままにしないでください。

上司に相談できるようなら話をしたり、僕のように精神内科に行くのもいいでしょう。

会社に迷惑もかけるでしょうが、言い方は悪いですが死んでしまった方が迷惑が掛かります。家族、友人は悲しみます。

 

間違っても自分の頑張りが足りないからもう死んでしまえ、とは思わないでほしいです。転職、部署異動、独立、他にもこの先道はいくらでもあります。

 

「人生のレールから外れてしまうから耐えるしかない」なんて考えないでください。まずは現在の環境を変えることを最優先にしてください。

それでも会社に言い出せない場合は

もし退職を会社に告げるのも死ぬほど苦痛だという方は現在「退職代行サービス」というものもあるようなので、相談するつもりで問い合わせてみてはいかがでしょうか。

 

退職代行サービスについて詳しく取り上げているサイトもあります。

参考にしてみてください。

最後に

僕は精神内科から適応障害の診断書をもらった翌日に総務部長に提出、その後直属の上司を呼んでもらい、その日に引き継ぐところは引き継いで翌日から休職しました。

 

休職したその日から僕はあっという間に元気を取り戻しました。鬱病では適応障害であったため、仕事を休んだとたんに元気を取り戻せたのでしょうか。

飯田橋メンタルクリニックHPより引用

 

いきなり仕事を投げてしまった申し訳なさはありましたが、転職したての自分がいなくなったところで会社は当たり前のように回っていきます。

 

後日、総務部長より連絡をいただき、「今回の件は完全にこちらの責任。しっかりと引き継いだうえで仕事を任せていきたいから戻ってきてほしい」というお言葉をいただきました。

僕ごときにそこまで言っていただきとてもありがたかったですが、戻ってもうまくやっていく自信が湧いてこず、そのまま退職という流れにさせていただきました。

 

そして、その後の僕についてですが、実はこの後転職した会社も3か月で退職。現在4社目ですでに辞めたい気持ちがあります。笑

ただ、精神的に追い詰められて辞めたいというわけではなく、やりがいが感じられない、つまらないといった理由で、死にたくなるほどつらかった以前に比べれば贅沢な悩みです。

 

こんなどうしようもない僕でも今は週5日会社に通い、仕事後は束の間の趣味の時間を過ごし、休日は友人と遊んだり、それなりに楽しい毎日を過ごしています。

 

生きていればいいことはあります。今後、努力をしていれば技術の進歩などにより私たちを取り巻く環境は良くなり、その恩恵にもあずかれると信じています。

それなのに今の労働環境がよくないという理由で命を落としてしまったり、精神を病んで人生を棒に振るのはとてももったいないです。悲観的になりすぎず未来は明るいと信じましょう。

 

そして物事が良い方向へ進むように行動しましょう。上司に相談、両親に相談、退職代行サービスを使う、他にも方法はあると思います。

偉そうに言っていますが、以前は僕も新しい環境に順応できず精神を病んでしまった一人です。ですが、そんな僕だからこと伝えられることもあると思い、体験談を書きました。

この記事を見て救われる人がひとりでもいたらうれしく思います。

 

死にたくなるくらい辛いときは「逃げるが勝ち」ですよ!気楽にいきましょう

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やすペン
やすペン
雑記ブログを運営しながら、資産運用を行っています。 株式投資:2017年3月から100万円でスタート。国内小型株投資メイン。 仮想通貨:2017年4月から。約20銘柄保有。 横浜DeNAベイスターズファン
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